映画・映像・TV・演劇・俳優業界で『好き』なことを『仕事』にする学校

デビューした先輩たちGraduates

私たちは3年後に
「好き」な仕事に出会うことができました!

在学中からプロの現場に立った経験を活かし、続々と就職・デビューを果たしています。

既にプロダクションに所属している人。日本を代表する俳優の方々と共演した人。レベルの高い舞台で演技を磨いている人。ひと足先にチャンスをつかんだ先輩たちの言葉からは、FC TOKYOに入学すると、デビューのきっかけが無限に広がることが必ずわかるはずです。

卒業生インタビュー

届けたい…その思いを忘れずに、自分自身と戦い続けた3年間の先には。

宮平 安春

(株)ヒラタオフィス

俳優

YASUHARU MIYAHIRA

宮平 安春

映画俳優専攻 (2期卒業生)

沖縄より上京し本校に入学。 在学中より様々なオーディションを受け、海外の舞台や『仮面ライダー電王』などの映像作品にも出演。 卒業後に現在の事務所 ㈱ヒラタオフィスに所属。 テレビドラマ、映画、CMに出演。 2014年には『くらげとあの娘』にて自身初となる主演を果たす。 その後もテレビやCM・映画などで活躍中。

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俳優という仕事で長く食べていくためにこの学校を選んだ
インタビュアー
映画『くらげとあの娘』での主演など、数々のドラマ・映画に出演されていますが、子供の頃から俳優を目指していたんですか。
宮平
子供の頃は、何か表現をしたいという願望が強かったですね。 表現と言っても学芸会を主導したり、交通安全の標語だったりなどですが。 そして具体的に進路を考える中で、俳優になりたいと思い、沖縄から上京してきました。
インタビュアー
芸能事務所にそのまま入るという方法もある中、なぜ専門学校に入学されたのでしょうか。
宮平
俳優という職業を仕事にするためには、しっかり下積みをしなくては将来食べていけなくなると思ったのと、小学生のころから演技をやっている人に、その時点では敵わないと思ったからです。 また演者側だけでなく、作る側のことも知識として持っていたいとも思いました。 そうして調べていく中で、この学校が一番演じられるし制作できると考え入学しました。
入学したら劣等生だった・・・でも自分と戦い道を開いた
宮平 安春
インタビュアー
入学してからは学内でバリバリ活動されていたのでしょうか。
宮平
そんなことはなかったです。 私は20歳で入学したこともあり、劣等生だったんですよ。 周りには子役劇団出身の人がいたりして、演技の基礎中の基礎の授業が最初からできる人もいました。 ただ、周りと比べるのではなく、自分自身の想像と戦っていました。 自分の中ではここまでできるはずだと思っていても、できていない。 こうしたい、こうなりたいというイメージの中で自分をずっと追いかけていましたね。
インタビュアー
そこから勉強を重ねていったんですね。 学内外の舞台や映画制作に参加されたりなど経験はありましたか。
宮平
最初は全然選ばれなかったんですよ。 でも学内で行われたミュージカルで初めて選ばれて、そこからは積極的に参加していました。 また、学校で募集のあった日中韓合作のプロジェクトに参加することもできて、それが事務所に入るのに良い経歴になりました。
インタビュアー
かなり忙しそうな学生生活を送られていたんですね。 それほど俳優という職業に魅了されていたんですね。
宮平
これでいいんだろうかと迷うこともありました。でも入学して一年経った時に、自分が過ごしてきた20年の中で表現できること、それを届けられる仕事をしたい、と意志を固められました。 この学校には、演技や映画について語りあえる仲間と時間が沢山ありました。 なので私はこの学校を選んで本当によかったと思っています。

人の心を1秒で動かす、アクションだからこその感動に震えた。

塚越 靖誠

(株)ジャパンアクションエンタープライズ

アクション俳優

YASUNARI TSUKAGOSHI

塚越 靖誠

アクション・スタント専攻 (9期卒業生)

中学・高校時代より㈱ジャパンアクションエンタープライズを目指すも基礎技術や演技力が必要と考え、アクションの専攻が独立してある本校に入学。アクションのみならず演技の全てを学びそれを活かしたアクション俳優へと成長でき、卒業後見事、㈱ジャパンアクションエンタープライズに所属。

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ヒーローに憧れた幼少時代。夢に向かってひたむきに努力した
インタビュアー
アクション俳優、スタントマン、スーツアクターとしても活躍していらっしゃいますが、子供のころからアクションの世界を目指していたのでしょうか。
塚越
最初は単純な憧れで、小さい時からヒーローものを見ていてかっこ良いと思っていました。 中学卒業の時に現在活動しているジャパンアクションエンタープライズ(JAE)に入りたいと思ったのですが、親の反対もあって高校に行ったんです。 高校で進路を考えた時も、やはりJAEに入りたいと思ったのですが、調べると凄く厳しいということがわかったんです。 格闘技なども習っていなかったので、基礎からしっかり学びたいと思い、この学校に入学したんです。
インタビュアー
志望動機が定まっていたんですね。 ではそのために在学中は一直線に進んで行ったんですね。
塚越
そうですね。 アクションや俳優の授業だけでなく、日本舞踊やサーカスなど、受けられる授業は全て出席するようにしていました。 そして放課後は毎日アクションの練習です。 そして学校で募集のあった、新宿スワンなど映画のアクション部の撮影に積極的に参加しました。 それでも、今の事務所で学ぶことは多く、勉強の毎日です。 日々、鍛錬に励んでいます。
父親の支えがなかったらアクションを続けられなかった
塚越 靖誠
インタビュアー
アクションの魅力はどういうところにあるのでしょうか。
塚越
アクションは1人ではできません。 相手、マットを持ってくれている補助など、色んな人が支えてくれています。そんなみんなでひとつのシーンに全力を注ぐというやりがいがあります。 また、映画の中でアクション・スタントシーンが使われている時間は、5分もないことがほとんどなんです。 しかしそのワンカットしかない中で人の心を動かせる仕事だと思うんです。
インタビュアー
しかし、危険と隣合わせなことが多いですよね。実際にプロの現場で行ってみていかがでしたか。
塚越
マンションの4階、12mくらいから飛び降りたり、マスクやスーツを着用し、視界や体に制限のある中でのアクションなので、もう二度とアクションができない身体になる可能性があるのは、やはり怖いです。
インタビュアー
そういった恐怖と立ち向かえるのは何故でしょうか。
塚越
実際、やっていることは怖いし痛いし、でも、一番は父親の支えですかね。 専門学校に入る時も最後まで反対していたのですが、諦めて応援する側にまわってくれたみたいで、在学中に私が出る舞台やヒーローショーのほとんどに観に来てくれたんです。 なのでもっと活躍して、応援してくれている父親、家族に恩返しをしたいです。

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